ミョウ・ガールちゃんが「わかんない」と言っているので、
    
    代わりに きひみ博士 がお教えいたしましょう♪w
  
    出典は、笑(小)話集『醒睡笑』(安楽庵策伝著・元和~寛永頃[1620年代頃]成立)
  
    巻六「児の噂」に収録されている2番目と45番目のお話です。
  
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  [原文]-2
  
    ふるまひの菜(さい)に、茗荷(みょうが)のさしみありしを、
  
    人有て小児(こちご)にむかひ、是をばいにしへよりいまにいたり、
  
    物よみおぼえむ事をたしなむほどの人はみな、どんごん草となづけ、
  
    物わすれするとてくはぬよし申したれば、児(ちご)きいて、
  
    あこは、それならくはふ、くふて、ひだるさわすれうと。
  
  
  [きひみ訳]
  
    振る舞われた料理の中に、茗荷の刺身があったので、
  
    ある人が年少の稚児に向かい、「これは昔から今まで、
  
    学問をするような人は皆、鈍根草と名付けて、
  
    物忘れをすると言って食べない」と言ったところ、稚児は聞いて
  
    「私はそれなら食べよう。食べて空腹を忘れよう」と言った。
  
  
  [きひみ注]
  
    ※「児」・・・「ちご(稚児)」。剃髪前の少年の修行僧。男色の対象となった。
  
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  [原文]-45
  
    ある時児(ちご)、茗荷のあへ物食せらるゝ。中将見て、
  
    それは周梨盤特(しゅりはんどく)が塚より生じて鈍根草(どんごんそう)といへば、
  
    学問など心がくる人のくふべき事にてはなしといましめける時、
  
    児、中々のことや、是は鈍になり、物をわするゝ草よのふ、
  
    ただしうそであらふ、其子細は、
  
    三年跡にこのごとくあへたるみやうがをくふてあつたが、
  
    今にそのうまさをばわすれぬほどに、くふたがましよと。
  
  
  [きひみ訳]
  
    ある時、稚児が茗荷の和え物を食べていた。中将がこれを見て、
  
    「それは周利槃特の墓から生えてきた鈍根草と言い、
  
    学問などをする人が食べるものではない」と注意したところ、
  
    稚児は「いかにも、これは鈍くなり、物を忘れる草だなあ。
  
    でも嘘でしょう。なぜなら、三年前にこのような和えた茗荷を食べたけれど、
  
    今でもその美味さを忘れていないので、食べた方が良いよ」と言った。
  
  
  [きひみ注]
  
    ※「中将」・・・「ちゅうじょう」。公家の官職。寺院と公家は密接な関係があった。
  
    ※「周梨盤特」・・・「しゅり・はんどく(周利槃特)」。釈迦の弟子で最も愚鈍だった人。
  
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    私は『江戸茗荷文学大全』を出版するのが夢ですw
  
    まあ、ミョウガが出てくるお話はこの二つしか知りませんがwww